知事対談(56号以前) 総合情報誌ふじのくに
「新型コロナワクチン、ブルーエコノミー」可能性を高める鍵は オープンイノベーション
2022(令和4)年10月
ブルーエコノミー※の世界的拠点を目指す静岡県のMaOI プロジェクト。その舵を取る五條堀 孝氏は、遺伝学の世界的権威でもある。川勝平太静岡県知事との対談では、コロナウイルスの変異からMaOIが見つめる未来など、多様な話題に展開。そこから、「オープンイノベーション」というキーワードが浮かび上がった。
※海を守りながら社会経済を持続可能に発展させる海洋産業
変異を予測、普遍的ワクチンへ
知事:先生には、令和元年、一般財団法人 マリンオープンイノベーション(MaOI)機構研究所長に御就任いただきました。先生は、会員約80人の半数がノーベル賞受賞者というローマ教皇庁科学アカデミーの正会員です。第一級の学者をMaOIの研究所長にお迎えできて、ありがたく、光栄です。先生はかつて、エイズウイルスは、変異スピードが超高速のためにワクチンでは間に合わない、治療薬で対処すべきである、と提言され、提言通りになりました。ご功績の一つです。昨年出版された『「新型コロナワクチン」とウイルス変異株』でも、ウイルスの変異スピードを説かれています。
五條堀氏:今回のコロナウイルスについても、どれだけ変異が出るか、そのスピードは非常に重要な指標になると思っています。私どもの推定では、人間の遺伝子における進化速度の10万倍から50万倍と結構速い。しかしながら、100万倍という超高速のエイズウイルスに比べたら2分の1から10分の1程度ですので、ある程度ワクチンが効きます。何回か打ち直す必要はありますが、重症化や死には至らないという点で、不幸中の幸いだったと認識しています。
知事:ワクチンが効くのは変異のスピードが比較的遅いウイルスだということですね。変異株が生まれるメカニズムは突き止められていますか。
五條堀氏:ある程度できています。今回のコロナの場合は大体3万塩基といわれ、DNAに近いRNAが遺伝情報で、自分を複製します。複製には酵素というタンパク質が必要ですが、これがボロ酵素でまともに複製できない。その複製エラーが変異を起こしているわけです。
知事:仮にウイルスの塩基が全て解読されて、変異の起きやすい箇所を特定し、変異の確率を見届ければ、対策ができそうにも思えます。
五條堀氏:おっしゃる通りで、今は変異が起きている場所や塩基が変化する方向性を統計的に調べることができます。さらに、人工知能AIを使って、未来予測の下でワクチンを作る。あるいは、ユニバーサルワクチンといいまして、コロナがどう変異しても対応できる普遍的ワクチン、この開発競争も進んでいます。
知事:ユニバーサルワクチンの開発競争での日本の位置はどの辺りですか。
五條堀氏:残念ながら、非常に低いと思います。データ解析等はピカイチですし、AIの専門家もかなりおられますが、ウイルス学者や情報学者、免疫学者等の協業が極めて少ない。出会いから新しいアイデアが生まれ、開発につながることがありますから、この出会いが加速すれば、世界に躍り出ていく能力は十分にあると思います。
知事:2020年当初、世界に先駆けてm-RNAを開発した米国のモデルナ社は、100人程の小さな研究所です。モデルナ社は政府に対して、ワクチン製造に20億ドルの投資が必要だと要請しました。トランプ大統領(当時)は即座に支出を決めただけでなく、緊急認可しました。英国ではジョンソン首相(当時)が十分な治験のないままアストラゼネカ社のワクチンを緊急認可しました。国のトップが、コロナ禍の中で、多額の公金を投じて緊急認可をし、多くの人命を救いました。なぜ、日本政府はそうしなかったのでしょうか。
五條堀氏:結局、安全基準をどこに置くか。高めるほど安全ではあるけど、時間がかかってその間に甚大な被害も出る。実際に多くの人が亡くなっているので、大局的な視野で必要なことをやるべきでした。
知事:通常一つのワクチンを製造するのに1千億円ぐらいかかるそうです。日本政府は2020年段階で100兆円以上の税金をコロナ禍の経済支援に使いました。私は全国知事会議で、2020年4月以来、その1%の1兆円をワクチン開発に充当する基金にし、例えばワクチン開発に1件当たり1千億円で、取り崩し可能にして、10件分のワクチンの国産開発を要請しました。全国知事会議ごとに繰り返し要請した回数は10回以上です。政府は馬耳東風でした。
2021年になって「先進国らしからぬ」と外国から批判されて、危機管理の観点から国産化の重要性を認めるというお粗末さでした。
五條堀氏:アメリカは、地道な研究が役に立った。私は日本の生命科学者として、自責の念があります。予測不能だったとしても、遺伝学者も含めてもう少し貢献できなかったのかなと。
知事:ワクチン開発は、防疫の危機管理だけでなく、人助けです。先生のような当代一流の学者の意見を聞く体制を政府が整えなかったのは残念です。
長年築かれた皇室との絆
知事:先生は上皇陛下と秋篠宮皇嗣殿下と共同研究をされています。何がきっかけでしたか。
五條堀氏:ある方から、秋篠宮殿下が理学博士を取れないかと相談を持ち掛けられまして。当初、私が赤坂に1週間に1回、家庭教師のように行きまして。それから殿下が遺伝研に2ヶ月に1回。殿下は非常に聡明な方ですので学位論文に何の問題もなく、理学博士を取られました。ある時殿下から、「父がハゼの進化をDNAで調べたいので、一度会いたいと言っております」とお電話いただきました。「父」とは陛下のことですよね?ということで共同研究が始まりまして、もう25、6年になります。
知事:皇室の役割について中世の『禁秘抄』に「学問第一のこと」とあります。当時の学問は和歌でした。いわゆる敷島の道です。現代の学問は西洋由来の学問が主流ですが、皇室には古今の学問を修めるという伝統が引き継がれています。
五條堀氏:よく外国の科学者から、「科学者の中にロイヤルがいるのは幸せなことだね」と言われました。ぜひ日本の皆さんにも知ってほしいなと思います。
知事:今上陛下は、もちろん和歌を詠まれますが、水運史と水循環の学者です。オックスフォード大学のマサイアス教授は陛下と私の指導教授でした。マサイアス先生に「毎年正月の皇室の歌会始は千年以上も続いています」と話すと、先生は「日本の皇室は詩人ですね。英国で詩人は文人の最高格です」と感心されたのは嬉しかった。
ところで、秋篠宮様の研究は、どのようなものですか?
五條堀氏:遺伝子に基づいてニワトリの起源をご研究されました。かの有名なチャールズ・ダーウィンは著書の『種の起源』で、ニワトリの起源は非常に重要な問題だと取り上げています。世界中に野生のニワトリ(野鶏)は4種類いるが、我々が知っているニワトリはどれに由来するか。
ダーウィンは4種類の一つである赤色野鶏から由来したと言い、他の人は混ぜこぜだと言った。殿下はミトコンドリアDNAを全て調べられて、赤色野鶏から来ていると発表されました。つまり、ダーウィンの謎を解いたんです。当時、恐らくご公務の後に論文を書かれたのでしょう。深夜2時頃にFAXが届いて、私がちょっと直させていただいてすぐに返す、というやり取りをしていました。
知事:上皇陛下は生物学者で、ハゼの研究で知られます。生物学の上皇陛下が最新の遺伝子分析に関心をもたれ、先生に接したいと思われたのは必然の流れですね。
世界に誇る静岡のガーデン
知事:先生が富士・箱根・伊豆国際学会を立ち上げられたのは嬉しい驚きでした。今後に期待しています。
五條堀氏:実は沼津で面白い方々の集まりがありまして、そこで東京の「大いなる多摩学会」の話題から、「似たような学会があったらいいよね」という話になって、「ここなら富士・箱根・伊豆があるじゃない」と。
知事:富士・箱根・伊豆は、多摩川よりもスケールが大きい。
五條堀氏:さらに大きく、五條堀だから国際じゃなきゃということで国際学会になりました。その後みんなで議論して、一般的な観光資源だけじゃなく、人的活動の内容を資源としたら、もっと付加価値が付くじゃないかと。例えば、お茶の持つ文化も良いけど工業的な側面も知らせていく。「富士・箱根・伊豆」学を通じてアカデミズムを高めるだけでなく、それを事業へつなげる。素晴らしい温泉、最高のおもてなし、そこでの人々の活動を知ってもらえれば、コロナが収束した後、海外から多くの人が来るようになります。
知事が書かれた『富国有徳論』、本当に素晴らしいと思いながら読ませていただきました。その中で提唱されていたガーデンシティ、ガーデンネーション。人が住めないような山奥だって、多様性を持っていろんな住み方をすれば住めるようになると。今言われているデジタル田園都市構想を、知事は2000年に言われた。非常に感動しました。
知事:ありがとうございます。富士箱根伊豆国立公園は「文化的景観」です。日本で最も高い富士山、最も深い駿河湾、100万年前に火山島が本州にぶつかって半島となった伊豆、地球の造山活動が造り上げた最高級のガーデンです。三島市は「ガーデンシティ三島」を、長泉町の静岡がんセンターには「メディカルガーデンシティ」を、御殿場市は「エコガーデンシティ」を掲げています。
五條堀氏:田園都市という言葉を使わないでガーデンシティ。
知事:田園都市は原語「ガーデンシティ」の訳語です。
地球の表面の3分の2が海です。宇宙から見れば、五大陸も島でしかありません。地球は大小の島々からなる多島海で、日本列島は7,000近い島々から成る多島海、いわばガーデンアイランドです。さらに言えば、北海道はアメリカ、本州はユーラシア、四国はオーストラリア、九州はアフリカに見立てられます。
五條堀氏:静岡は世界の中心だと。
知事:見立ては日本の文化です。地球的視野から日本列島を見ると、日本列島は水の惑星(地球)多島海のミニチュアモデルで、静岡は列島の中心です。
五條堀氏:私は「ふじのくに」を広めると同時に、「SHIZUOKA」を世界に知らしめたい。三島に住んで40年になりますが、実は地元をあまり知らなかった。この学会をやらせていただいて、涙が出るくらい人の温かみに触れて幸せをすごく感じています。人柄の良さも静岡が誇るべき資源ですね。
駿河湾は世界的な豊穣の海
知事:MaOI(マオイ)の研究所長として、抱負や期待などをお聞かせください。
五條堀氏:まず、私にこのような機会を与えてくださった知事に深く感謝申し上げます。このMaOI=マリンオープンイノベーションという名称は実に素晴らしいですね。
知事:気に入っていただき、ありがとうございます。
五條堀氏:オープンイノベーションの本質は、自分だけでなく、他者と一緒にゴールを目指そうという考え方。MaOI(マオイ)は、それを海洋でやろうという素晴らしいミッションです。県内の試験場や大学などの異なる人たちが集まる場、オープンイノベーションを確立したいですね。研究所の使命としては、海洋データ等を活用した社会実装化、「BISHOP」という海洋生物資源のデータベースを構築して、将来的には統合的データのマザー基地にする。それが世界と連携して、世界の可能性を高めていくと。最初から国際的でありたいです。
知事:先生はサウジアラビアのアブドラ国王科学技術大学で紅海の研究もされています。紅海と比べて駿河湾はどうでしょうか。
五條堀氏:まず、生物等の豊かさが抜群です。紅海は流入する河川がないので孤立系になっており、温度も高く、ある種、環境変動が進んだ成れの果ての海。非常に透き通っていてプランクトンも少ないので、スキューバダイビングにはふさわしいのですが、海の豊かさでいうと、駿河湾にはかなわないでしょう。
知事:駿河湾は大井川、安倍川、富士川、狩野川など多くの河川が流れ込む豊穣の海です。紅海との比較は面白い。
五條堀氏:紅海の一番深い所は2,500mぐらいありますが、水温がなんと23度もありました。恐らく駿河湾は2,500mぐらいで1度ぐらいでしょう。
知事:地球温暖化を測るときに、海水温の基準になるのですね。
五條堀氏:はい。紅海には失礼な言い方ですが、日本の海が紅海のようにならないための参考例にはなりますね。紅海で魚を養殖すると、太陽の光が強過ぎて魚の目がつぶれてしまいます。これには非常に苦労しています。日本から技術を運び、紅海を養殖可能な海にしたい。そのためにもMaOI(マオイ)が貢献できたらと思います。
知事:オープンイノベーションで、人のため社会のために尽力するのは先生の学者哲学ですね。MaOI(マオイ)で最高級の学者による豊穣の駿河湾の研究成果が、紅海を含め、世界の海に役立つことを期待しています。
五條堀氏:ありがとうございます。
“対談を終えて”
知事は、世界観や歴史観、文明観など博学多才。それらを熟知した上での自然に対する美意識が、私どもの研究を支えてくださっているのだと非常に勇気づけられました。(五條堀氏)
『「新型コロナワクチン」とウイルス変異株』は、ワクチンとウイルスの関係を実に簡潔明瞭に、しかも読みやすく書かれてありました。
この本は県民全員必読だと思いましたね。(知事)
対談者プロフィール
静岡県知事
川勝 平太
1948年生まれ。京都市出身。早稲田大学、同大学院を経て英オックスフォード大学で博士号取得。早大教授、国際日本文化研究センター教授、静岡文化芸術大学学長などを経て2009年より現職。現在4期目。
MaOI機構 研究所長
アブドラ国王科学技術大学特別栄誉教授(サウジアラビア)
五條堀 孝
1951年福岡県生。国立遺伝学研究所副所長、東京大学特任教授、日本遺伝学会長などを歴任後、現在、早稲田大学招聘研究教授、福島県立医科大学特任教授、DNA鑑定学会理事長、富士箱根伊豆国際学会会長などを併任。理学博士。