知事対談(56号以前) 総合情報誌ふじのくに
「スポーツと共生」オンライン対談〜一緒に学び 一緒に社会生活を〜
2022(令和4)年7月
東京オリンピック・パラリンピックを機に、大会の「レガシー(遺産)」について広く議論されるようになった。
五輪・パラリンピックの自転車競技の会場になった静岡県の川勝平太知事(73)と、パラリンピックで日本勢最年長50歳の金メダリストとなった自転車の杉浦佳子選手(51)が、オンラインで対談し、スポーツを通じた共生社会の実現について語り合った。
【本文および写真(自転車の写真は除く)は2022年3月23日付 毎日新聞掲載記事より転載・対談日:2022年2月4日・構成 滝沢一誠】
レガシー作り 聖地に
知事:東京五輪・パラリンピックでは静岡県ゆかりの選手の活躍がめざましく、9人の金メダリストに県民栄誉賞を贈呈しました。パラリンピックは日本勢の金メダル13個のうち6個を静岡県ゆかりの選手が獲得しました。杉浦選手は二つ獲得し、中軸として活躍されました。
杉浦選手:静岡県からの声援のおかげだったと思います。県出身の他の選手の活躍で「私も頑張るぞ」という気持ちになりました。
私は高校までずっと掛川市で過ごしました。大学進学を機に上京しましたが、趣味で始めた自転車のレースで日本サイクルスポーツセンター(伊豆市)を訪れました。レースで転倒して生死の境をさまよいましたが、またリハビリで自転車を始めて、パラ自転車の合宿に参加しました。その会場もやはり静岡県。そしてパラリンピックの大舞台の会場も静岡。人生の転機が全て静岡にあったように感じます。修善寺を拠点に練習していて、戻って来るとホテルの方から「おかえり」と迎えていただいています。
知事:杉浦選手は県内の名門・掛川西高校出身ですね。スポーツをしながら薬剤師の資格を取るなど、まさに文武両道を地でいく生き方ですね。県内では五輪・パラリンピックの前の2019年にはラグビー・ワールドカップ(W杯)も開かれており、こうした大会のレガシー作りに取り組んでいます。日本サイクルスポーツセンター内の伊豆ベロドロームは国内でも最高の競技場。ロードレースのコースには富士スピードウェイ(小山町)が加わりました。静岡県をサイクリストの聖地にしようと、サイクリングルートの開発や、休憩やメンテナンスの拠点となる「バイシクルピット」を約500カ所以上に拡大するなど、サイクリストの受け入れ態勢の向上を図りました。伊豆ベロドロームなどを核にサイクリストのトレーニングビレッジとして活用する計画もあります。
杉浦選手:パラ自転車の競技人口は少なく、「どこで、どうやって練習できるか分からない」という問い合わせを受けても、なかなか返事ができない状況です。静岡県は視覚障害のある選手が使う2人乗りのタンデム自転車を購入して、走行体験会を行っています。関心のある方に紹介したらとても喜んでいました。アスリートの仲間が増えることがチームの実力の底上げにつながります。東京など県外在住者に向けても発信していただければ、喜ぶ方がさらに増えると思います。
知事:パラリンピックでの県ゆかりの選手の連日の活躍で、パラスポーツの人気が県内で広がったという実感を持ちました。日本のため、世界のためのパラスポーツという志を持っていますから、発信力を高めていきたいと思います。
杉浦選手:五輪・パラリンピックを次につなげようという動きがあって、大会が終わってもそこが終わりじゃなかったということが、私たちはとても喜ばしいことだと思い、感謝しています。
「駄目な自分」受け入れ
知事:人は誰もが病気にかかったり、年老いて弱ったりします。完全な障害者も完全な健常者もいません。県では障害を理由とする差別の解消を目指す条例を施行しました。また、言葉で不自由を感じる外国人向けに、災害時に多言語で発信できる体制をつくっています。障害福祉サービス事業所でつくった製品を「幸福(しあわせ)を産み出す」というメッセージを込めて「福産品」と名付けて、県民に購入を呼びかけています。皆で支え合うことが重要です。杉浦選手は突然大けがをして、それを境に全く違う人生になったとお聞きしました。
杉浦選手:障害を負ってから、「できない」ことを受け入れられたというか、「駄目な自分」を受け入れられるようになりました。それまでは他の人にできない仕事があると「なんで?」と責めてしまうことがありました。でも、人にはできないことがあるのが当たり前だと気付き、「この人はこれができないけど、別のことはできてすごい」と思えるようになりました。
知事:心が豊かになりましたね。薬剤師として仕事に誇りを持ち、一生懸命打ち込まれてきました。事故をきっかけに人に対する理解が格段に深まったのですね。
杉浦選手:「弱者だから与えてもらう」だけの社会は嫌だと思っています。障害者は皆、そう感じていると思います。何か役に立ちたい。何もできないかもしれないけれど、何かできることをさせてほしいと思っています。
私もかつてそうでしたが、障害者にどう接すればいいか分からない人は多いはずです。でもパラ自転車の世界に入り、世界の障害者と触れ合うようになり、気づきました。例えば、食堂で腕のない人を見ると、何かしなくてはと思いますが、食べるのに不自由はなく、手助けは必要なかったりします。そういうことは一緒に生活していると気付きます。だから一緒に過ごす機会が増えればいいと思います。オーストラリアは五輪とパラリンピックの自転車チームのスタッフが同じです。そのように、垣根がもう少し低くなるといいかなと思います。
知事:ぜひ実現したいですね。共生とは一緒に学び、一緒に社会生活を送ることです。静岡県がそのモデルとなるようにしていきたいと思いますので、アドバイスをいただきたいと思います。私たちがスポーツを通して目指しているのは、平和な社会を作るということです。スポーツは戦いですが、ルールがあります。ラグビーは荒々しいようで、試合が終われば敵も味方もなく互いを敬う「ノーサイド」の精神があります。静岡県では、五輪・パラリンピックに合わせ、文化プログラムを展開し、文化芸術を推進してきましたが、スポーツと文化、教育を融合して、立派な人間を育てていきたいと思っています。
杉浦選手:今大会は新型コロナウイルスの感染拡大のため国外から観客を招くことができませんでしたが、いつか海外の選手や家族にも静岡に来てもらって、県内を堪能してほしいです。また今大会ではボランティアが素晴らしい活躍をしてくれましたが、この経験を1回きりではなく、次の世代に引き継いでもらえたらすてきですね。
知事:県内で都市ボランティアなどを務めた300人以上が、その経験を生かして県内のスポーツ大会の運営に携わる「スポーツボランティア」に登録してくれました。さらに、県内各地でスポーツを通じて地域活性化を図る組織「スポーツコミッション」が発足しています。スポーツはする人、見る人、支える人、全て必要です。
杉浦選手:私は皆さんの「感動をありがとう」という言葉をもう一度聞きたくてリスタートしました。パラ自転車では若手が急成長していますが、「昨日の自分より今日の自分」の精神で、24年パリ大会に向けて頑張ります。50歳で金メダリストになった時に「最年長記録はまた作れる」とついうっかり言っちゃって、こんなに話題になるとは思いませんでした。でも、目指せる場所がある限りは精いっぱい向かっていきます。
知事:みんなで応援します。杉浦選手らしい、チャレンジングな姿を期待し、見習っていきます。
対談者プロフィール
東京2020パラリンピック
自転車金メダリスト
杉浦 佳子氏
1970年、静岡県掛川市生まれ。TEAM EMMA Cycling所属。薬剤師。2016年4月にレースで転倒し、頭などを骨折、高次脳機能障害を負った。初出場の東京パラリンピックで個人ロードタイムトライアル、個人ロードレース(いずれも運動機能障害C1~3)で2冠を達成した。
静岡県知事
川勝 平太
1948年、京都市生まれ。早稲田大、早大大学院を経て英オックスフォード大で博士号取得。早大教授、国際日本文化研究センター教授、静岡文化芸術大学長などを経て2009年より現職。現在4期目。著書に「文明の海洋史観」など。中学時代はバスケットボール部所属。