フカボリ

世界遺産登録10周年!今こそ足を運びたい、韮山反射炉の魅力と見どころ

2025年6月26日

静岡県伊豆の国市に位置する「韮山反射炉」。2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界遺産に登録され、今年で10周年を迎えます。静岡県民の誇りでありながら、まだ訪れたことがないという方も少なくないかもしれません。
そこで県民だより7月号と本記事では、韮山反射炉の歴史や仕組み、現地で体験できる魅力的なポイントをご紹介します。夏休みの家族旅行や週末のお出かけを計画中の方に足を運んでいただけるよう、「伊豆の国歴史ガイドの会」会長の大川公(おおかわ あきら)さんへお話を伺いました!

1.あらためて知りたい!韮山反射炉って?

2.世界遺産になるまでと、なってから変わったこと

3.韮山反射炉に来たら実際に見てほしいポイント

4.最後に

1.あらためて知りたい!韮山反射炉って?

――まず大川さんの自己紹介をお願いします!

 この春からガイドの会会長になりました、大川です。私は、韮山反射炉が世界遺産に登録された2015年の4月1日に入会し、今年でちょうど10年目になります。退職した頃に、伊豆の国市の広報で反射炉のガイド募集を見て応募したことがガイド参加のきっかけでした。今日はよろしくお願いします。

――まさに世界遺産の韮山反射炉とともに歩んできたということですね!実は私、今回初めて韮山反射炉へ来させていただきました・・・!いろいろと勉強させてください!早速ですが・・・韮山反射炉とは、一体どのようなもので、何のために建てられたんでしょうか?

 韮山反射炉は江戸時代末期、当時の韮山代官・江川太郎左衛門英龍(ひでたつ・1801-1855)(以下「江川英龍」)が建設を指揮した施設です。反射炉とは、高温で金属を溶かして鋳造するための炉で、特に鉄製の大砲の製造に使用されました。目的は、幕末に迫っていた諸外国の脅威に対抗するために建設されたとされています。

 ――幕末というと、ペリーの黒船来航があって、日本が大きく変わっていった頃ですね。やはり幕府からの命令で造ることになったんでしょうか?

 実は、江川英龍は非常に先見の明がある人で、ペリー来航前から「国を守るためには大砲が必要」と幕府に進言していたようです。国防以外に公衆衛生や医療分野にも明るく、新しい技術や考え方を積極的に取り入れることで領民だけでなく当時の日本を牽引していた人物なんですよ。

――本当にスゴイ方だったんですね・・・!英龍のお話だけでもドラマが作れそうです・・・!そんな江川英龍が手がけた韮山反射炉、一体どんな仕組みで動いているんでしょうか?

 反射炉の最大の特徴は、その名の通り「反射」による熱利用です。炉内で燃料を燃やし、天井に反射させた熱を利用して金属を融解する仕組みになっています。伊豆石と耐火れんがで造られた構造の炉で、内部は約千数百度の高温を維持できます。反射炉ができるまでは、ここまで高熱で鉄を溶かす技術はなく、鉄を加工するにはいわゆる「たたら製鉄」が主流だったと思うと、ものすごい技術の進歩ですよね。

――この中が、そんなに高熱になるんですね・・・。ここで加工する鉄とはどのようなものでしょうか?

 韮山反射炉で加工する鉄は、「銑鉄(せんてつ)」といって砂鉄や鉄鉱石から粗製の鉄で、不純物が混ざったものです。これを反射炉の高熱で溶かして取り除くことで、大砲鋳造に適した優良な鉄を造ることができるのです。溶かした鉄は、鋳型に流し込んで大砲などに加工されました。反射炉の周辺には錐台小屋といって水車を動力として砲身を加工する場所もあり、この敷地内でさまざまな職人が働いていました。

▲反射炉内部(写真提供:伊豆の国市)

――こんな大がかりな施設を幕末に人の手で造っていたことに驚きです。

 構造はもちろん特色の一つですが、実はこの建造物をオランダ語の翻訳書から造るところ、そして建設のための資材を調達するところからとてつもなく大変だったんです。

――ぜひ詳しく教えてください!

 オランダ語の技術書を解釈し、実際の建設に応用することは大変な作業でした。実物を見たこともないものを一から造るんですから、すごいプロジェクトですよね。江川英龍たちは、オランダ語や技術に精通した佐賀の人材などと交流しながら、試行錯誤を繰り返して建設を進めたといわれます。

 また、韮山反射炉には約2万6千個のれんがが使われていますが、当時の日本ではれんがの製造や使用が一般的ではなく、反射炉造りはれんがを造るところから始まったといいます。いまの河津町にある山の中で焼き上げた耐火れんがと、韮山で焼いた耐熱れんがを用意しました。重機もないわけですから、まず造ったれんがを運ぶので一苦労、そして持ってきたれんがを積むので一苦労です。

――このれんが一つ一つを人が積んでいるんですね。そのほか、あまり知られていないけど実はここもスゴイ!という見どころはありますか?

 日本の場合はヨーロッパと違って地震や台風が多いので、実は書物どおりに造るだけでは使い物にならないんです。日本の場合は700年以上前から築城の技術がありますが、韮山反射炉ではそういった技術も使い、基礎には896本の松の杭が打たれているそうです。なので、欧米の技術をまねるだけでなく、日本で使うにはどうしたらよいかという応用を効かせている点がこの反射炉の魅力ですね。

――見えない部分にも創意工夫が・・・まさにロマンですね!

 実際に、造った大砲はその後使われたのでしょうか?

 江戸湾の海岸線防衛で製造された大砲ですが、幸いにも実際に使用された記録は残っていないようです。造った大砲は試し打ちをして、江戸まで持って行ったという記述はあります。諸説はありますが、国内防衛の象徴的な役割を果たしたということでしょう。

 ▲反射炉周辺施設の模型と大川さん

2.世界遺産になるまでと、なってから変わったこと

――いろいろなお話をお聞きしてきましたが、ここで一つ、素朴な疑問が生まれました。こういった施設は、通常なら使用が終了したら取り壊してしまうものですよね?韮山反射炉は、なぜ使わなくなった後あとも残されたのでしょうか

 実際のところ、取り壊すという話は何度かでていたようです。記録によると、「坦庵公(江川英龍)没後50年を機に民間の保存運動が起こり、明治41年(1908年)に反射炉保勝会が発足した」といわれます。

 江川英龍は韮山代官ですが、当時での感覚でいえば地域の「お殿様」として、親しまれていました。お殿様が造ったものを後世に残したいという地元の人たちの熱意・思いが強かったんじゃないかと思いますね。

――そしてその後、陸軍省による補修工事が行われたと・・・。やはり、地元の人々の熱意あってこそということですね。

 はい、貴重な明治日本の産業革命遺産の一つとして残すことができるのも、こうして地元の人々から愛され、保存されてきたからということですね。こうした経緯も含めて、地域の誇りです。

――ありがとうございます。韮山反射炉が世界遺産に登録された背景について、大川さんの視点からお話を伺えますか?

 韮山反射炉は日本の近代化において、重要な役割を果たした施設であり、当時の最先端技術が集められた場所である、というのが一番のポイントですね。そして、実際に大砲製造のために稼働した場所が、このような形で残されているという点が評価につながったと思います。

――とても分かりやすいです!まさに世界遺産の韮山反射炉とともに歩んできた大川さんですが、登録されてから「変わったなあ・・・」と感じることはありますか?地元の方の声としてもぜひお聞きしたいです。

 実は明治日本の産業革命遺産の23構成資産の中で、初年度の来場者数は韮山反射炉が一番多かったのでは?と言われています。世界遺産に登録された初年度は、日本各地から約73万人もの人がお越しくださいました。登録前の来場者数が年間約10万人ほどなので、突然約7倍もの人に来ていただけたというわけで、やはり「世界遺産」となった影響力はすごいものでしたね。

 登録翌年度は約42~43万人と落ち着きましたが、当時は反射炉の敷地内は人に埋もれて足下が見えないほどでした。私はガイドになったばかりだったので先輩に教えていただきながら、なんとかやっていましたね。

――実際に来て驚いたのですが、このあたりはガイダンスセンターを含めてとてもきれいに整備されていますよね!道が広くて駐車場も駐車台数が多いので安心感があります。

 そうですね。登録後、周辺道路や駐車場、ガイダンスセンターなどが整備され、お客様の受け入れ態勢が向上したと思います。

――世界遺産登録当時は、どのようなお客様が多かったんでしょうか?

 やはり韮山は東京から近く、三島まで新幹線で来ることができるので関東圏のお客様が多かったですね。ツアーも多く組まれていましたし、世界遺産を見がてら伊豆や熱海を観光して・・・・というお客様が多かった印象です。

――静岡県東部には観光地として魅力的な場所がたくさんありますからね!そのあたりをフカボリした記事もあるので、県東部へお越しの際にはぜひチェックいただきたいです!

▲ 韮山反射炉ガイダンスセンターの外観写真(写真提供:伊豆の国市)

3.韮山反射炉に来たら実際に見てほしいポイント

――それでは、実際に韮山反射炉に来たら見てほしいポイントや楽しみ方を教えてください!

韮山反射炉は年齢を問わず、多くのお客様に楽しんでいただけますよ。たとえば、季節ごとの風景は一番の見どころです!春になると桜が咲き、新緑の季節も緑が美しく、秋にはイロハモミジが見頃を迎えます。また近くの池に映る「逆さ反射炉」の風景もおすすめです。

――ちなみに、大川さんのイチオシ風景はどのようなものですか?

まず私のイチオシは夕日ですね。反射炉の二つの煙突の間から西日が差し込む光景が非常に美しいです。訪れる時間帯によって異なる反射炉の景色が楽しめるのも魅力ですね。

また、反射炉近くの茶畑上にある展望台からは、世界遺産の富士山と韮山反射炉を同時に眺めることができます。日本で二つの世界遺産が同時に見られるのはここだけですので、特に自慢のポイントです。

▲ 展望台からの写真(写真提供:伊豆の国市)
▲ 取材日は残念ながら西日は見られず・・・ふじっぴー、また来よう!



――やはり風景は誰でも、どんなときでも楽しめる魅力の一つですね・・・!ちなみに、韮山反射炉はこれまでお話しいただいた歴史や地域の背景をまだ知らない、初心者でも楽しめるのでしょうか?

 はい、その点は心配無用です!まず韮山反射炉の概要については、ガイダンスセンター内のシアターで、分かりやすい映像で歴史や背景を学べるため、事前知識がなくても理解しやすいです。

 そして、私たちガイドが常におりますので、質問を受け付けながら丁寧に説明させていただきますよ。

――気になる点を質問できるのはありがたいですね!実際に、どのような質問が多いんでしょうか?

多い質問は・・・なぜこの韮山、山の中に反射炉が造られたの?というものですね。たしかに、反射炉は当初、現在の下田市で着工し、基礎工事などが行われていたんです。しかし1854年3月、下田に入港していたペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入する事件が起きたことで、急きょ韮山の地で建設することとなりました。

 ――そういった詳しいお話が聞けるのも、ガイドの方がいるおかげですね・・・!

 一方的な説明ではなく、お客様とガイドのキャッチボールを重視した案内を心がけています。ガイドは常に新しい情報を仕入れて、よりお客様に楽しんでいただけるよう、日頃から勉強会もしています。

――大川さんと皆さんのおかげで、韮山反射炉をより深く、楽しみながら知ることができました。本日はありがとうございました!

4.最後に

今回のインタビューでは、韮山反射炉と江川英龍を深く愛する大川さんのお話を伺いました。詳しいお話を伺ってから反射炉を見ることで、これまでの歴史の歩みをより深く感じることができました。

韮山反射炉では、7月1日(火)から、韮山反射炉の季節の写真を載せた記念カードを200枚ほど配布予定です!先着順となりますので、世界遺産登録10周年を迎える韮山反射炉へぜひお越しください!

県民だより7月号

https://www.pref.shizuoka.jp/kensei/pr/johoshi/kenmin/1070652/1073922/index.html

ふじのくにメディアチャンネル「世界遺産県民講座 ココがスゴイ!韮山反射炉」

ふじのくにメディアチャンネル「世界一のクラフトビールをきっかけに伊豆エリアと静岡県を世界に発信」


―――施設情報――――――――――――――――――――――――――

○韮山反射炉:伊豆の国市中268

【観覧料】一般個人:500円 一般団体(20名以上):450円 小中学生:50円

※伊豆の国市民は無料(反射炉のみ)

【開館時間】3月~9月:9時~17時

      10月~2月:9時~16時30分

【休館日】毎月第3水曜日、年末年始(12月31日~1月1日)

【駐車場】あり(無料) 普通車約150台 大型バス約10台

【アクセス】お車の場合:東名沼津IC・新東名長泉沼津ICから伊豆縦貫道江間IC経由約40分

電車の場合:伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆長岡駅から徒歩約25分、タクシー約5分

最新の情報は、伊豆の国市ウェブサイトをご確認ください。

伊豆の国市ウェブサイト▼

https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/manabi/bunkazai/hansyaro/index.html

―――問い合わせ――――――――――――――――――――――――――

県広聴広報課 TEL:054(221)2231 MAIL:PR@pref.shizuoka.lg.jp

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