美しいふじのくに 総合情報誌ふじのくに

【賀茂郡河津町】「伊豆の踊子」の情緒が息づく福田家

2023(令和5)年3月

日本秘湯を守る会

文人墨客の宿

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た」(『伊豆の踊子』冒頭)。
文豪川端康成を世に知らしめた名作は、伊豆市湯ヶ島の天城山隧道(通称:旧天城トンネル)から始まる。天城の原生林に周囲を覆われた舗装されていない旧道を歩いていると、今もそこに踊り子や「私」がいるような心地いい錯覚にとらわれる。
旧制第一高等学校2年生だった川端氏が湯ヶ島から天城峠を越え、湯ヶ野を経由して下田に至る旅をしたのは大正7(1918)年11月のこと。修善寺、湯ヶ島、湯ヶ野と各地の温泉宿に泊まり、途中で出会った旅芸人の踊り子とのエピソードを基に描かれた情緒豊かな短編小説が、今は天城、湯ヶ野地区を語る代名詞の一つになっている。

『伊豆の踊子』の冒頭を彷彿とさせる旧天城トンネル「天城山隧道」。
道の駅「天城越え」内の伊豆近代文学博物館。伊豆ゆかりの作家120人の直筆原稿や愛用品を収蔵。

河津町湯ヶ野に入り河津川沿いに下っていくと、橋のたもとに建つ木造の宿に『福田家』の墨字。 小説では「橋を渡るとそこは温泉宿の庭だった」と記されており、川端氏はここに泊まり、川の向こう側の共同風呂から裸で手を振る踊り子の姿を実際に目にした。自身の生い立ちへの屈折した思いや失恋の傷心が、踊り子との出会いで何かしら昇華されて小説が生まれたのではないかという考察があるが、本当のところは分からない。

そしてこの小説は度々の映画化により、日本人の琴線に触れるベストセラーとなった。
特に昭和38(1963)年の吉永小百合主演版、昭和49(1974)年の山口百恵主演版は大ヒットとなり、当時映画館に足を運んだ人も多いだろう。昭和40(1965)年の記念碑除幕式には既に大作家だった川端氏自らも参加し、湯ヶ野温泉一帯は大賑わいだったと、三代目女将の稲穂照子さんは懐かしむ。

川端青年が泊まった客室
川端青年が踊り子の姿を見た風呂場もそのまま残っている。
福田家 女将 稲穂照子さん

それから既に半世紀以上の時が過ぎた。 けれども小説に描かれているこの辺りの風景は今も全く色あせることなく、訪れる人々を非日常の世界へと誘う。
春から新緑へと向かうこれからの季節。『伊豆の踊子』を再び読み返して小説の舞台をたどってみたい。

「伊豆の踊り子」記念碑
伊豆が文豪に愛された理由

昭和初期頃までの伊豆は交通の便も悪く、東京から隔絶された山深い地で簡単にたどり着けない場所だった。豊かな自然に恵まれた静寂な温泉地は、作家が日常を離れて創作活動に没頭する絶好の地であり、多くの文豪たちが伊豆各地に滞在して名作を執筆している。文豪ゆかりの宿も数多く、それらを訪ねる旅も面白いだろう。

アクセス

住所

静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野236

アクセス

東名沼津IC・新東名長泉沼津ICより車で約1時間30分
JR東海道新幹線熱海駅から乗り換え2時間20分 伊豆急線河津駅下車~東海バス天城線湯ヶ野バス停下車徒歩3分

お問い合わせ先

TEL:0558-35-7201

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