知事対談 総合情報誌ふじのくに

日本人の美徳を形作った武士道を、ふじのくにから世界に発信

2023年の東アジア文化都市に選定された静岡県は、“文化の首都”として富士山の麓から武道における心と体のメカニズム、人材育成、地域活性化、ツーリズムへの活用など、武道が持つさまざまなポテンシャルを国内外に発信するシンポジウムを開催した。
当日講演した、国際日本文化研究センター名誉教授で歴史学者である笠谷和比古氏と川勝平太静岡県知事が、日本独自の伝統文化、精神文化である武士道をどのように生かしていくかなど武士道の精神とその可能性について語り合った。

日本人に受け継がれる七つの徳目

川勝知事

知事:昨年秋に開催された「文化の首都静岡県から武道を世界へ」をテーマとする“東アジア文化都市2023静岡県”記念シンポジウムでの講演で、「武士道は世界に通用する」という趣旨のお話には感銘を受けました。日本武道協議会は、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道を武道としています。一方、サッカーのワールドカップ、野球のWBCなど、日本選手が世界大会に出場すると「サムライ・ジャパン」と呼ばれます。サムライは日本選手への尊称です。武道は世界的に普及し、サムライの名称も世界に通用しています。まず、武士道と武道の違いについてお伺いします。

笠谷氏

笠谷氏:私の専門は武士道ですので、なかなか難しいのですが、武士の精神がどのように受容され、生かされているかというのは、武道家の実践の中からにじみ出てくるのではないでしょうか。武士道には、「正々堂々の戦い」や「敵ながらあっぱれ」という考え方があり、特に後者は、敵に対する礼というものがあり、敵をただ憎しみの相手とするのではなく、優れたライバルとして相手を認めることによって自らを高めるというもので、武士道から武道へ伝わる一番根本的な考え方だと思っています。

川勝知事

知事:武士の間で、「正々堂々」「名誉の掟」などの行動規範が徐々に形成され、江戸時代に士農工商の身分制度ができると、武士道は 士(さむらい) だけでなく、農工商に広まったというお話でしたが、御著書の『武士道の精神史』では、「忠」「義」「勇」「誠(まこと)」「証」「礼」「普(あまねく)」を武士道七則とし、そのうち忠・義・勇を三徳とするのは、どの武士道論にも共通する、と説明されています。

笠谷氏

笠谷氏:「勇」は、武士道と武道と一番近しいところにあると思います。東日本大震災の時、原発事故を恐れず、果敢に救援に立ち向かう姿は「勇」そのものと言えます。「義」は先ほどの正々堂々の考え方で、一般的に言う正義のことです。「忠」は武道と大きく乖離(かいり)する点ではないかと思います。武道はどうしても個人技ですが、武士道は、主君従者という上下の関係を常に考えながら展開していくものです。鎌倉時代以来、武士たちはいかに振る舞うべきか考え、主君に対する忠義・忠誠は武士にとって最も重要で変わらないものです。

川勝知事

知事:他の徳目についてもご説明いただけますか。

笠谷氏

笠谷氏:「誠(まこと)」は心の正しさ。清明な心が突き動かす能動性を「意地」と表現し、その行動が取れない、挫折したときに自覚する心的状況が「恥」です。「証」は、証拠主義のことで、善悪の判断は具体的な証拠に基づいて行います。現実的であり、具体的であり、結果を重視するのが武士道です。六つめは「礼」。敵ながらあっぱれの考え方です。敵対的な関係であっても、憎い相手でも礼儀を尊重するのが武士道。最後は「普(あまねく)」。武士道というのは非常に普遍性を持ち、武士道的な行動様式や精神、価値観に共感するのであれば誰でも武士道を共有できるという考え方です。武士道は男尊女卑だというのは大きな誤りであり、女性の武士道を排除しないのは武士道の極めて大きな特徴と言えます。

庶民階級の中で育まれた武士道

川勝知事

知事:江戸初期までの武人は、勝つために兵学・兵法を重視していました。しかし、士農工商の身分が確立した江戸時代に、士の役割が経世済民(けいせいさいみん)や治国になるとともに、
武士道は農工商の生き方に影響を及ぼし始めたのですね。

笠谷氏

笠谷氏:そうですね。さらに、一般庶民の中に武士道が入ることによって独自の進化、展開を遂げます。

川勝知事

知事:農工商の庶民の道徳にもなったわけですね。

笠谷氏

笠谷氏:詐欺瞞着(まんちゃく)は許されない。約束、信義は裏切らないという武士道における重要な「義」の考え方が、一般庶民に浸透していきます。もちろん、儒教道徳もあるわけですが、やはり、武士が約束を破るならば、自らの命を失っても構わないという気風が、一般庶民にも受け入れられていったのではないかと考えています。信義の重視で、今日の日本のビジネス行動の核心に信用(トラスト)があると言われる所以(ゆえん)です。

川勝知事

知事:中国の朱子学や儒教は為政者や士大夫(したいふ)層に向けた教えです。一般庶民に向けたものではありません。朱子学・儒教は日本に深く影響しましたが、日本の精神風土で徐々に変容して、中国思想から自立して確立したのが武士道だと思います。武士道が江戸時代の国民道徳になったことで、「普(あまねく)」はその特徴をよく表していると思います。

笠谷氏

笠谷氏:17世紀前半に、武士であった斎藤親盛(さいとうちかもり)が著した『可笑記(かしょうき)』という本があります。山形藩の最上氏が権力闘争を理由に改易され、領地を没収されると、藩士だった斎藤親盛は浪人として追い出されてしまいます。彼はこの経験を元に、こんな愚かなことをすると世の笑い種になると記述しています。仮名書きだったこともあり、庶民の間でベストセラーとなり、武士道の精神が庶民に浸透するきっかけとなりました。また、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が書いた子ども向け絵本『古今武士道絵づくし』にも、武士道という言葉が登場します。つまり、武士道は子どもでも理解できるポピュラーな概念であったと言えるでしょう。

川勝知事

知事:江戸時代の庶民の識字率は世界トップでしたから、仮名書きや絵本を通して、武士道は庶民に普及したのですね。

笠谷氏

笠谷氏:はい。戦乱の世が終わり、敵陣に乗り込んで一番槍(やり)をあげるといった本来の武士道は過去のものになりましたが、武士道の精神は庶民に浸透し、独自の武士道の世界をつくりあげていきました。武士道は、庶民の中でつくられたと言っても過言ではありません。

個の倫理観や自立に与えた大きな影響

川勝知事

知事:士農工商それぞれに職分がありました。士の職分は経世済民です。国(藩国家)を治め、かつ、藩経済を豊かにするというのは、今日の言葉でいえば、経営です。同時期のイギリスでは資本家と労働者の二大階級に分かれました。一方、江戸時代の日本では、経営者と生産者に分かれました。農工商の職分は経済活動であり、士の職分は経済活動の生み出す富を活用する経営であったと言えます。

笠谷氏

笠谷氏:その話の前提として、ヨーロッパと日本の封建制度は17世紀以降で大きな違いがあります。ヨーロッパの騎士階級は戦場がなくなるとお役御免になり、ご領主さまとして収まり、農民から地代を取って貴族として生きるようになります。一方、日本では、武士は皆、官僚になったんですね。領地ではなく、藩という行政単位に所属し、役人として働くようになりました。

川勝知事

知事:藩国家を統治し経営するのは武士官僚の仕事でした。経済政策にも取り組んでいます。将軍徳川吉宗や米沢藩主上杉鷹山(ようざん)の殖産興業政策、幕末の薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)の集成館事業や代官江川太郎左衛門の韮山の反射炉建設などは武士の職分をよく示しています。

笠谷氏

笠谷氏:歴史に名を残すような家臣たちは、ほぼ下の身分から昇進しています。江戸時代は身分制度が固定されていたというのは大きな間違いであり、実際には身分はかなり流動的であったと言えます。昇進の基準は何かと言えば能力主義であり、経済的な成果主義なんです。どれだけ働き、成果を上げたかが出世の大きな要因でした。

川勝知事

知事:武士は廉恥心を重んじます。主君への忠節も盲目ではなく、己の良心に従って忠義を尽くすのであって、主君の非道があれば、身をていして諫言する。諫言は個が自立していなければできません。主君の奴隷ではない。

笠谷氏

笠谷氏:個の自立を証明する事例として、福沢諭吉のエピソードが挙げられます。彼は下級武士の出身で、上級武士にずいぶんひどい扱いを受け、父親を亡くしています。これが彼に、旧時代の階級社会への強い恨みを抱かせました。そんな福沢ですが、明治になり、新しい時代における個人はどのようにあるべきかについて、彼は「往事における武士が、武士道を守ったように生きるのが、現代における自立だ」とはっきり書いています。ここに、近代的個人の自立と、武士道的自立が一致するわけです。

富士山の心と共鳴する武士道

川勝知事

知事:武道は世界に普及しており、「武士道」や「サムライ」の名称は世界で通用します。世界における日本の存在感(プレゼンス)をさらに引き上げるために、武道と武士道を有効に活用する策はありますか?

笠谷氏

笠谷氏:学校教育において、武道教育の重要さは言うまでもありません。特に礼節の精神が浸透することを願っております。「体育会系」という表現には、しばしばネガティブなイメージがつきものです。上意下達であり、先輩絶対というシゴキやいじめがあり、反抗や文句が言いづらい雰囲気。それが故に、ネガティブな側面が強調されているのではないでしょうか。武道の礼の精神は、上に対するものだけでなく、下に対する礼もあります。また、正しいものは正しい、間違っているものは間違っているということをはっきり口に出すのが武士道であり、そのような組織をつくるべきですし、そのような教育が望ましく思います。

川勝知事

知事:柔道、剣道、空手などの武道は世界各地で人気です。外国人がサムライや武道でイメージするのは富士山だと聞いたことがあります。日本の象徴の富士山を擁する静岡県として武道・武士道にどのように関わっていけば良いでしょうか。

笠谷氏

笠谷氏:富士山はさまざまな側面がありますが、やはり富士山を前にすると気持ちが粛然とし、邪念が打ち払われ、誠の心が湧き上がります。これが、富士山が持つ威厳や影響力なのではないでしょうか。また、その清らかな美しさも、富士山が持っている大きな徳だと思います。

川勝知事

知事:富士山が持つ普遍的価値は、武士道七則の「普(あまねく)」と通底するものがありますね。

笠谷氏

笠谷氏:あると思います。個別の徳目に当てはめようとするのは無理がありますが、全体として見た場合、富士山の心と言えるものは、武士道の精神と齟齬(そご)するものではありません。武士道七則で「誠(まこと)」と言いましたが、富士山が持っている清明さと言いましょうか、その中に全てが凝縮されているように思います。そこには、うそ偽りはなく、その端然とした姿に勇気もあれば、正しさも宿っています。これは礼節の道にもつながります。富士山の心は、世界の人と共有できる普遍性があると思います。

川勝知事

知事:富士山は、その普遍的価値の故に世界文化遺産に登録されました。その価値を武士道の精神と結び付けながら有効に活用していきたいと考えています。本日は、お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

武士道と富士山に
共通する清明な心は、
世界の人々が共感し得る
普遍性がある

笠谷氏

対談者プロフィール

静岡県知事
川勝 平太
1948年生まれ。京都市出身。早稲田大学、同大学院を経て英オックスフォード大学で博士号取得。早稲田大教授、国際日本文化研究センター教授、静岡文化芸術大学学長などを経て2009年より現職、現在4期目。

国際日本文化研究センター名誉教授、歴史学者
笠谷 和比古 氏
1949年生まれ、神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。専門は日本近世史・武家社会論。静岡県総合計画「基本計画」策定に関する提言など、本県との関わりも深い。主な著書は、『武士道 侍社会の文化と倫理』、『歴史の虚像を衝く』、『武士道の精神史』、『信長の自己神格化と本能寺の変』、『論争 関ヶ原合戦』など多数。1988年、『主君「押込」の構造』でサントリー学芸賞受賞。

著書紹介

『武士道
侍社会の文化と倫理』
(NTT出版 2014年)
『武士道の精神史』
(ちくま新書 2017年)

東アジア文化都市2023静岡県記念シンポジウム「文化の首都静岡県から武道を世界へ」

「武士道の精神」の講演と、パネルディスカッションに笠谷氏が登壇した。矢野弘典氏をモデレーターに、パネラーはアレキサンダー・ベネット氏(剣道等)、日馬富士公平氏(相撲)、瀬戸謙介氏(空手)、植芝充央氏(合気道)、井上康生氏(柔道)。武道が持つポテンシャルなどを、各武道の代表者がどのように教育へ生かしていくべきかを論じた。

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