知事対談(56号以前) 総合情報誌ふじのくに
富士山と人が織りなす、多様な文化の花が咲き誇るふじのくに
2023年、富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録され10年を迎えた。
時を同じくして、静岡県富士山世界遺産センターは開館5周年となり、富士山の保全や安全対策、学術調査・研究に取り組んでいる。同館館長であり、「東アジア文化都市2023静岡県」実行委員会最高顧問である遠山敦子氏と川勝平太静岡県知事が、富士山の麓で文化的意義について語り合った。
富士山の文化的価値を伝える活動拠点
知事:「東アジア文化都市2023静岡県」実行委員会の最高顧問にご就任いただいており、改めてお礼を申し上げます。静岡とのご縁は、日本平のロープウェイ建設の技師として、ご尊父が静岡に招かれた時からですね。
遠山氏:中学1年生の秋に静岡市へ移りました。真っ青な空の下に白雪を頂いた富士山を見まして、その崇高さに胸を打たれました。私にとって富士山は別格の存在になり、生意気にも、人生の目標であり、よりどころとなりました。学校時代、社会人時代、そして今日まで、富士山のおかげで、何とか生きることの基軸をもらえたと思っています。
知事:富士山の世界遺産登録では、中曽根元総理の下、理事長として「富士山を世界遺産にする国民会議」(現富士山世界遺産国民会議)をリードしてくださいました。感謝に堪えません。
遠山氏:こちらこそ、世界遺産登録に関わらせていただいて光栄でした。富士山が世界文化遺産になって、今年で10年。東アジア文化都市が今年で10回目。ダブル文化イヤーの中で静岡県は、「ふじのくに文化年」を迎えているわけです。この10年間、さまざまな取り組みをしてきましたが、特筆すべきことは、知事が静岡県富士山世界遺産センターをお造りになったこと。この拠点ができたおかげで、富士山についての学問、文化、発信のハブになることができました。
知事:センター設立に際しては、高い行政能力、広い文化的視野、幅広いネットワークをお持ちの館長に、基本構想委員会に加わっていただきました。他に当時、静岡県立美術館の館長で、比較文化・文学の泰斗、芳賀徹氏、東西の美術に通じた高階秀爾(たかしなしゅうじ)氏など、そうそうたるメンバーでした。あの委員会には、センターをハブとして富士山の普遍的価値を継承して内外に発信するのだという意欲と使命感がありました。基本コンセプトを「守る」「伝える」「交わる」「究める」の4本とし、それを指針にコンペを実施し、建築家の坂茂(ばんしげる)氏の案を採用されました。その数日後、坂氏は優れた建築家・作品に与えられるプリツカー賞を受賞されました。委員諸氏の目利きぶりに感心したのを覚えています。ありがたかったのは、センターの初代館長にご就任いただいたことです。開幕式典は、正面の水盤を生かし、晴れやかで、素晴らしい門出のお祝いになりました。
遠山氏:センターの建物は逆円錐形で、水盤に映ると富士山が現れるという独創的なアイデア。しかも富士山の湧水を使い、水盤や館内の冷暖房に利用するなど、富士山の恵みをきっちりと受け止めて完成した建物なんですね。研究者たちも一生懸命努力して、富士山の自然・信仰・芸術など優れた研究成果を出してくれています。この7月には富士山世界文化遺産登録10周年記念として、「世界の聖なる山と富士山」と題する国際シンポジウムを開催できました。世界の聖なる山は、数多くあります。多くの場合、天国などの霊的な場所に最も近いところだと信じられ、信仰体系や伝承の一部となっています。その中には聳(そび)え立つ高山もあり、火山もあれば、人々が信仰する小さな山などさまざまで、富士山は毅然として雄大であり、人々が古くからあがめ、愛し、そして誇りにしてきた大きな存在であると改めて気付かされました。世界の聖なる山と連携を取り、聖なる山の役割についての学問的、文化的な価値について発信してほしいという要望もあり、当センターが中心的役割を果たしていきたいと考えています。
世界とつながる聖なる山・富士
知事:センターは、開館から5年の間に、皇族のお成りが2度もあり、多数の来館者が続き、開館5年目の節目に開催された富士山世界文化遺産登録10周年記念国際シンポジウムには、館長のお声がかりで、一流の方々が参加されました。元ユネスコ世界遺産センター長、ニュージーランドのトンガリロ国立公園、中国の泰山、イタリアはピエモンテとロンバルディアの代表などトップクラスの布陣でした。
遠山氏:彼らを呼び寄せたのは私ではなく、富士山なんです。皆さん、富士山のためなら行こうと言ってくださる。富士山学※を追求することも大事ですが、世界、あるいは地球規模の視野を持った上で富士山の位置付けを行い、聖なる山が持つ意味を世界に発信していく必要があります。参加されたトンガリロ国立公園は、世界で初めて「文化的景観※(カルチュラル・ランドスケープ)」を理由に、世界文化遺産に登録されました。(オンライン講演で)印象的だったのが、「I am my mountain, and my mountain is me.」という言葉で、山と自分は一体という話です。自然と人間の共感といいますか、先住民であるマオリ族の伝統、精神、誇りを今も守り続けていることが、世界遺産につながったとおっしゃっています。人間と山との深いつながりを学びました。
知事:西洋で文化といえば、ノートルダム寺院、ケルンの大聖堂、ピラミッドなど、人間が造ったものです。自然は、文化と対極にあり、ワイルドな存在だと見なされていました。山岳を文化と見ることに抵抗があったはずです。19世紀にラスキンが山岳を神聖視する見方を出しましたが、主流とはならずに、登山を楽しむアルピニズムが流行しました。ご著書『来し方の記 ひとすじの道を歩んで五十年』で、「富士山に対峙して恥じることのない人生を歩みたい」と書かれています。霊峰は館長の心の支柱ですね。生涯1500点も富士山を描いた横山大観は、「富士山を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ」と述べています。いずれも、日本古来の富士山観と通底しています。海外では、ニュージーランドの先住民マオリ族が、日本人とよく似た山岳信仰をもっています。「文化的景観(カルチュラル・ランドスケープ)」はトンガリロを文化遺産にするために考案された、実に独創的な概念です。自然景観に文化性を公式に認めたもので画期的でした。これで西洋人の文化に対する見方が変わりました。そのおかげもあって、富士山が信仰や芸術の源泉となってきた日本古来の文化が高く評価され、世界文化遺産になりました。
遠山氏:普遍性の意味が変わったわけですね。それまではヨーロッパ的な価値観がユネスコの評価基準でしたが、トンガリロの一件をもって、自然と人間の共用関係、協調関係といいますか、そこに歴史や伝統も加わり、文化的な価値があると認めたことは、とても大きな変化だと思います。
山水一体の恵まれた地、静岡県
文化都市のレガシーをしっかりと残すことが大切
遠山氏:静岡県はとても恵まれていて、日本一、世界一と言ってよいかもしれません。一つには富士山があり、それ以外にも南アルプスや竜爪山(りゅうそうざん)といったさまざまな山があり、海がある。論語には「知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ」とあります。静岡県民は知者にも仁者にもなりうる環境があり、加えて大地には豊かな食材があふれています。その意味で、静岡は天下に誇りうる恵まれた県だと思います。その県が文化都市として、ふじのくに文化イヤーを契機に、あちこちで文化の花が咲き匂う県になっていってもらいたいなと思います。
知事:「山は富士 お茶は静岡 日本一」と言われますが、富士山の世界遺産登録とほぼ同時に、本県の茶草場農法が世界農業遺産になりました。翌2014年には南アルプスがユネスコエコパーク、2016年には富士山の水が注ぐ駿河湾が「世界で最も美しい湾クラブ」加盟、2018年に伊豆半島がユネスコ世界ジオパーク認定など、また、本県ゆかりのノーベル賞受賞者、芸術家、世界トップクラスのアスリートなど、富士山の世界遺産登録の2013年6月から毎年「世界クラスの資源・人材群“ふじのくに”静岡県」をリストにしていますが、現在、145件※を数えます。10年間でこれほどの世界クラスの地域資源・人材が公認された地域は他にないと思います。こうした資源や人材を生かして内外の人々の幸せのために活用していくことは我々に課された責務です。
※2023年(令和5年)10月1日時点
遠山氏:今、東アジア文化都市を開催している静岡県が、県内のあちこちでさまざまな文化の花を咲かせようとしています。市町や団体が実施する幅広い文化のイベント・企画が、800以上認証されていると聞いています。これを機会に、地元の人たちが本気になり、継続していく意欲のある魅力的文化事業をいくつか選び、育てて、文化都市のレガシーとしてしっかり残していく事が大事です。そこにこそ文化イヤーの意義があると思います。
多様な文化をおおらかに包む文化都市
知事:知事になってまず「富士山の日」条例を定め、また、大家のご協力を仰いで、柿本人麻呂・山部赤人以来の名歌集『富士山百人一首』を手がけた後、『富士山百人一句』『富士山百画』『富士山漢詩百選』『富士山万葉集全20巻』『富士山歳時記全5巻』等々を編みましたが、これらは富士山が芸術の源泉であることの現代における証しです。
遠山氏:見事な成果でして、とても参考になります。国際的にも、17世紀の終わりにドイツの医者で博物学者であるケンペルが日本を訪れ、富士山を見て、「世界一美しい山だ」と言っているんですね。ケンペルはヨーロッパに日本を伝えた人として知られ、のちにフランスの劇作家・詩人で駐日大使だったポール・クローデルや、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)なども、日本文化や富士山の美を、世界に発信してくれています。やはり、静岡県の人たちは、漠然と富士山を見るのではなく、もっともっと誇りを持って、そして、常によく学び、自らの心を鍛えるとともに、文化活動への参加をお願いしたいですね。しかも、大地の豊かな食を楽しめるのですから。
知事:静岡には、山の幸、海の幸、野の幸など、食材の数で日本一の439品目の農林水産物があり、どの食材も品質が高く、まさに「食の都」です。「東アジア文化都市2023静岡県」では、静岡の文化を広く捉え、衣食住の生活文化、茶の文化、芸能・芸術、温泉文化、スポーツ、ファッション、花、庭などを対象にしています。食文化はその中で文化の基本です。ふじのくにの食と絶景を楽しむ「静岡ガストロノミーツーリズム」を推進していますが、これは日本のどの地域でもできるプロジェクトです。できる限り、静岡中心主義にはならず、日本の「文化首都」にふさわしいように、本県を舞台にしながらも、日本の多様な魅力を広く世界に発信しています。
遠山氏:私も大賛成です。観光や食、他都市と何かが違うとかではなく、静岡という土壌の中で起こる幅広い文化を全て含め、文化幸(さきわ)う県であってよいと思いますし、それが文化都市であり、静岡県の今後に大いに期待しています。
知事:「東アジア文化都市2023静岡県」の事業を東アジア地域の平和につなげていくことが大切です。世界文化遺産登録10周年、国際シンポジウムなど、いずれも平和づくりに貢献するものです。それを将来につなげていくのは楽しい仕事です。遠山館長には、引き続き、お知恵をお借りしたいと思っております。本日は、ありがとうございました。
※富士山学
富士山に関わる諸学問分野を横断的に連携させるとともに、富士山の持つ顕著な普遍的価値についてさまざまな知見を結集させ、富士山の総合研究を目指す学問。
その研究成果を広く公表するため、センターでは学術雑誌「富士山学」を毎年刊行している。
※文化的景観
自然と人間の暮らしが相互に影響を与え、生み出されてきた景観のこと。
日々の生活に根差した身近な景観であるため、日頃その価値に気付きにくいが、文化的な価値を正しく評価し、地域で守り、次世代へと継承していくことが重要。棚田や農山村の景観などがある。
対談者プロフィール
静岡県知事
川勝 平太
1948年生まれ。京都市出身。早稲田大学、同大学院を経て英オックスフォード大学で博士号取得。早稲田大教授、国際日本文化研究センター教授、静岡文化芸術大学学長などを経て2009年より現職、現在4期目。
静岡県富士山世界遺産センター館長
遠山 敦子 氏
1938年三重県生まれ。静岡育ち。東京大学法学部を卒業し、文部省(現文部科学省)に初の女性上級職として入省。1994年、文化庁長官就任。駐トルコ共和国日本大使、国立西洋美術館長を歴任し、2001年、初の民間からの文部科学大臣として入閣。2005年には新国立劇場運営財団理事長に就任。主な著作に『来し方の記 ひとすじの道を歩んで五十年』『トルコ 世紀のはざまで』など。2013年、旭日大綬章受章。
静岡県富士山世界遺産センター
世界遺産である「富士山」を守り、後世に伝えるための拠点施設。学術調査機能なども併せ持つ施設として2017年12月に開館した。